「ほぉ……これは忙しいこった」
 じごくのハサミを返却した後,しかしクルスはすぐには城には行かず,イシスの町を歩き回っていた。いや,正確には思い出しながら歩いている,と言った方が良いか?
 イシスの町並みはアッサラームと良く似ている。建物のつくりは砂漠気候らしく土と粘土で出来ているし,家屋もそれが多い。というのもここまで木材を運ぶのが困難だからだ。それを考えれば,あの金属制のゲートはかなり高価なものだということが推測出来る。
 彼はイシス最大の大通りの端を歩いていた。南北に伸びたその大通りは真っ直ぐイシス城に続いている。現在大通りはモンスターとの戦争のための準備が急ピッチで進められていた。なるほど,ゲートでの兵士の楽観視はあながち外れていないかもしれない。
 自分が兵士達の邪魔にならないように大通りの端を歩いているのだが,それは大通りに兵士達がせわしなく動いているからだ。
「おい,こっちに早く持ってこい!」
「バカヤロウ! んなもん要るか! 間違えんじゃねぇよ!」
「今からここに投石器が通るぞ! 道を開けろ!」
「うるせぇ,ここは人通りが多いんだ! 別の道使えボケェ!」
「魔法使いは塀の上に登れ! 予行演習だ! 戦士は剣の手入れしとけよ! 武道家はやることねぇんだからとっとと塀の補強に行け!!」
「ああ!? 盾がもう無い!? 何でだよ,人数分用意しとけよ!」
「鋼の剣が……くそっ,刃こぼれしてやがる。おい,新しいのは支給されねぇのか!?」
「遊撃部隊はちゃんと登録しとけよ! 全滅したら誰が死んだか判らねぇからな!」
 あれやこれや。男達の怒号がそこらじゅうから響いている。イシスに到着した時は不自然な程の静かさだったのだが,それは杞憂だったかもしれない。大通りをせわしなく移動する者,準備する者。脇道を見ると,戦士達が己の剣の動きを確認し合っていた。
 イシスは魔法国家であるが,勿論戦士や武道家タイプも存在する。むしろ数から言えばそちらの方が多い。一般に魔法使い,僧侶というのは数が少ないものだ(理由は明白だろう。つまり,それだけ高度な呪文を使うことが難しいと言うことだ)。それでも,イシスでは他国では考えられない程の人数が居るのだが。
 誰もが真剣だ。口の悪い男達が多いが,それはそれだけ仕事に必死だから。この国を守るという心意気が見え隠れする。これだけやる気がある彼らが皆兵士だとは到底思えなかった。
 人間対人間の戦争と,人間対モンスターとの戦いは全く違う。人対人は必ずそこに戦争をする目的が存在する。領土を得る,食料を奪う。要は欲望のためだ。対して人対モンスターはただの殺し合いになる。それはモンスターが破壊概念しかないためだ。人間の作り出した物をことごとく破壊し,殺戮の限りを尽くす。人対人の戦争だってたまにそういうことが無いわけではないが,モンスターは100%そうなる。故に人の結束は凄まじい。壊されてなるものか,むざむざ殺されてたまるか。そういう気迫が至るところから感じられた。
 なるほど,魔王の宣戦布告はそう大したことは無いようだ。小さな村落ならば効果はあるかもしれないが,イシスのような大国になると,人は結束し死ぬ気で抗おうとする。これは魔王にとって想定外に違いない。
 僧侶系の集団がクルスとすれ違った。ぱっと見であるが,女性が多いように見える。力が少ない女性は僧侶や魔法使いに多い。大体7対3くらいだろうか。殆どが女性だ。
「今から私達の駐屯地に連れて行きます。持ち場の確認はそこでするように!」
 集団の先頭で女性が後方に並んでいる僧侶達に声をかける女性らしい受け答えが返される。
 どうやら,イシス軍は城下町に敵を入れるつもりは余り無いらしい。可能な限りゲートを守り,塀の上から敵を魔法攻撃によって殲滅する。ならば戦士や武道家は必要なさそうに見えるがそんなことは無い。万が一,ゲートが破られたり,塀が崩されたりして城下町にモンスターが進入した場合。そうなったら戦士達の出番だ。魔法使いは少し後ろから援護(恐らくそれまでに相当精神力を消耗し,あまり使い物にならないだろうが)し,僧侶はひたすら傷ついた仲間達を助けていく。そういった作戦が練られていることだろう。
「さってと」
 クルスは頭を左右に曲げる,ボキボキという音がして,肩の凝りが無くなる。彼はひさしぶりにタバコを取り出し火を付けた。
「とりあえず,俺の家に行くか」
 クルスは脇道に入る。今まで大通りを真っ直ぐ歩いていて,西の方角へと行った。
 魔法効果があるのか,それとも何かしらのおまじないかわからないが,イシスの城下町はアバウトに左右対称に構成されてる。南北に伸びる大通りを軸として,東地区と西地区。当然碁盤目状ではない。土地が広いのか,脇道,と言っても普通に左右5mは優にある。致命的に狭い道というのはイシスには存在しないのである。東地区と西地区にはそれぞれ一つずつ池が存在する。こればっかりは対称ではないが,ほぼ大きさを言えば同じくらいだろう。池から伸びている川は北に伸びて,湖へと伸びている。ちなみに最も大きな,イシス城の北東西を囲んでいる湖のことをスペリオル湖,イシス城下町の東の池をイーストポンド,西の池をウェストポンドと言う(随分と適当な名前だ)池と湖を結んでいる川の名前はクルスには判らなかった。
 クルスが進んだ先にあるのは突き当たり。そこを右に曲がって北へと進む。
 少し進んだところで,彼は立ち止まった。
「ここか……」
 随分とくたびれた一軒家。土と粘土が随分と古くなっている感じがする。広さはあまりなく,この近辺の家に比べて狭い方に分類されるだろう。そんなありふれた家。それこそが彼,クルスの生誕地であり,15歳まで生活していた場所であった。



31 思い出す付き人。そして座り込む彼




「ちょいとお邪魔するぜ」
 元々自分の家なのに,今はこうして言いながら入る自分に苦笑する。生活感はまるで感じられない。今は誰も住んでいないのだろう。
 あちこちに埃が溜まっていて汚らしい。家具や調度品は一切なくむき出しの壁のいたるところにヒビが入っていた。
「まぁ10年もほっておけばこうなるわな」
 土,粘土で出来た家というのは風化しやすい,それ故建て直しまではいかずとも,二年に一度くらいは補修工事が必要となる。工事,と言ってもそこまで大変なことではなく,現在の壁や天井に土,粘土を更に重ねて塗り合わせるだけの簡単なものだ。むしろ,それだけで済むのが他国に住む者は単純すぎる工事に不審感を持つかもしれない。
「俺の部屋は,っと……」
 入り口から入ると細い廊下があり,途中から左右に出入り口が見える。部屋が左右に一つずつ,存在しているのだ。突き当たりにも部屋が見え,そこが一番広そうな印象を受けた。
「突き当たりがリビング兼,ダイニング兼,キッチン兼,風呂場。思えばありえん構成だなおい」
 苦笑しつつ廊下を歩くクルス。
「左」
 振り向くとやはりそこには何も無いただの部屋が存在していた。他の部屋となんら変わりが無い。あるとすれば広さ程度だが,だがそれも右の部屋と同じだ。
 しかし,彼にとって左の部屋と右の部屋は全然違う。クルスが使っていたか,使っていないかの差だからだ。
「久し振り,俺の部屋」
 と誰も反応するはずが無いのに,そこに入るクルス。辺りを見ると諸所が崩れて,かけている。
「あーそういえば暴れたことあったな」
 執拗な虐めに在っていた時の腹いせが自室での過剰過ぎる暴走だった。バットを持って壁を壊しまくったり,ノートを破いたりしていた(元々虐めによって破られた物だったので問題は無いのだが)
「今思えば,えぐいな」
 彼は壁に近づき,傷をなぞる。ああ,これは確かナイフで切ったんだったな,こっちの凹みはバットで殴った跡,落書きも相当してあったっぽいが,これは補修工事で消えたのか。そんな懐かしい,そして残酷な記憶が蘇る。
「やれやれ,だな」
 タバコが終わる。彼は舌打ちをして自分の部屋に――捨てようとしたがためらい,窓から捨てた。変わりにもう一本新しいタバコを出して火を付ける。
 煙を吸いゆっくりと吐く。そして壁にもたれかかった。ポケットに片手を付いて,目を閉じた。するとすぐに記憶を辿ることが出来た。青い長い髪と薄紫の瞳を持つ少女との断続した会話の記憶を……



「ねぇ,クルス」
「何?」
「どうして反撃しないの?」
「だって僕,弱いもん」
「なら体を鍛えれば良いじゃない!」
「僕には出来ないよ」
「そんなこと,どうして判るの? やってないじゃない。やってからそれを言うべきよ」

 断片化した記憶

「オルハさん」
「クルス。まーた“さん”付け? やめてって言ってるじゃないの」
「ご,ごめんなさい。オルハ」
「何か,前半は丁寧なのに,その後呼び捨てにするって,似合わないわね」
「えっ,えっ……」
「あはは,冗談よ。ありがとう。クルス」

 途切れ途切れの回想

「うわぁあああああああ!」
「クルス! 止めなさい!」
「うるさい! うるさい!うるさいうるさいうるさい!」
「お願い,クルス。止めて……自分の物を,壊さないで」
「ああああああああああああああああああああ!」
「ええい,面倒だわ! いい加減にしなさい!」
「うげぇ!」
「っふ,貴方の力で私に勝とうなんてまだまだ無駄なのよ。たとえバットを持っていてもね」

 不連続なそれでも彼には十分だった。

「良い? クルス」
「うん」
「一つ,女性に手を上げないこと」
「うん」
「二つ,女性を泣かせないこと」
「判ったよ」
「三つ,私を崇めること」
「えーそれは無理だよー」
「何ですって。私に歯向かうつもり!? この! この!」
「あぐぐぐぐ,オルハ,決まってる! 首……絞まってる……って!」

 曖昧すぎて早すぎるモノローグ。

「もう行くの?」
「ああ,そうだな」
「そう……長い間,って言っても短かったわね」
「感謝してるぜ。俺が変われたのもオルハが居たからだ」
「そーんなこと言って,最後の組み手で私に勝ったからって,調子に乗るな!」
「ははっ,君に勝ててちょいとほっとしてるぜ。まさか負け続けで離れたくないからな」
「大体なんでこんな口の悪い子になったの? 気が付けば一人称が“僕”から“俺”になってるし」
「お前のせいだお前の!」
「むーいつの間にか“オルハ”から“お前”になってる。偉くなったわねぇ……ク・ル・ス・君!」
「う。モノの弾みだ,許しとけ」
「ま,良いわ,最後だし」
「……」
「……」
「なぁ,オルハ」「ねぇ,クルス」
「……先にどうぞ」
「レディファーストってやつだ」
「……ええっと,あのねっ……多分,これから貴方は私が言った守りごと,破っちゃうかもしれないわ……でも許す」
「は? 何のことだ?」
「女性を泣かしたらだめって約束」
「どういうことだよ」
「今から私泣くから」

(それからどうしたんだっけな)
 クルスの記憶はそこで終わっていた。相変わらず目は閉じたままだったが,思い出せない。
 初めて見せたオルハの涙を見た時,自分はどうしたんだ? まだ15歳という幼さが残る年齢での別れであるが,非常に悲しかった記憶はある。確か……そう,自分は泣いた彼女に何もしなかった気がする。
(俺,駄目じゃねぇか)
 苦笑する。シリウスとほぼ同じ年代の時はやはり彼とあまり変わらなかったじゃねぇかと突っ込む。まぁその時はその時だ,既に終わった過去は反省はすべきだが,後悔はすべきではない。
 楽しい,と言われれば疑問が残る。だが,彼女と,オルハと一緒に居た時間はとてつもなく早く感じられた。世の中の全てが終わっていると感じていた暗黒の世界から,彼女はたった一人で自分を救い出してくれたのだ。感謝しても仕切れない。そしてそれは単純な,しかし繊細な心情に発展する。
「そういや,あん時,俺,言いそびれてたな」
 目を閉じたまま,彼は言葉を紡ぐ。そうだ,あの時は,彼女の涙で慌ててしまい,何も言えなかったんだ。
「俺はあの時――」

「なんて言うつもりだったのかしら?」

 はっとしてクルスは目を開ける。
 かつて聞いた彼女の声。耳に入ってきて,驚き彼は辺りを見渡す。
 しかし,誰も居ない。辺りを冷静に感じるが,居ない。
 完全な幻聴だ。
「やれやれ」
 急に過去への捕らわれが冷める。既にタバコも終わりかけている。
「とっとと,城に行くか」
 まもなく日は沈む。移動に殆どを使った一日が終わろうとしているのだ。その前に,日が沈む前にクルスは彼女に会いたかった。
 彼女は恐らく避難しているに違いない。城に行って彼女を探さねば。
 そしてその時は今,出そうとした言葉を言うのだ。クルス一世一代の大勝負である。





「――」
 無音程
「――」
 無聴覚
「――」
 無感情
「――」
 無視覚
「――」
 無表情
「――」
 無動作
「――」
 無嗅覚
「――」
 無思考
「――」
 無触覚
「――」
 虚無

 そうだ。完全なる虚無の中で彼は存在している。何も考えず,何もせず,ただ座り込む。アッサラームの夜は騒がしい。しかしひとたび路地へと入るとそこは急激に静かになる。暗い,光があまり来ない,来てもただの漏れ光り程度。しかし彼は視覚情報を遮断しているため関係が無い。
 ゴミ臭い。しかし彼は嗅覚情報を遮断しているため関係が無い。
 ただ周りの音が遠く聞こえて耳障り。しかし彼は聴覚情報を遮断しているため関係が無い。
 何も考えない。
 何も見ない。
 ただ存在するだけ。
 路地に座り込む。背中には剣。手には袋。
 かろうじて生きている生命体がそこに在った。ただそれだけのこと。
 既に思考は停止している。この状態はあの時よりも酷い。
 アリアハンで家族を目の前で殺された時よりも。
 完全停止した機械は自然と起動しない。
 同様に完全に思考を止めた人間は自然と立ち上がらない。
 人間は一人ではどうしようもない。この状態になった時,一体誰が自力で這い上がれるというのだろうか?
 そんなことは不可能だ。強靭な精神の持ち主であろうと,その精神を動かす思考が無ければ意味を成さない。これは本質的には物質と同じだ。無機物と同じだ。植物や動物でさえ生存本能というのがあるのに対して,彼は今,それすらない。今殺されても悲鳴すら上げずにただ壊されるだけだろう。
 元々壊れているのだ。今更何を人間らしい反応を期待するのか? そちらの方が馬鹿らしい。

 彼の名はシリウス・S・ロスト

 かの有名なオルテガ・S・ロストの一人息子である。
 そのために周りから正当な評価を受けずに生きてきた。
 しかし彼には力が在った。
 類稀なる戦闘センス。
 信じられない程正確な空間把握能力。
 その力を用いればどんな敵であろうと,何人相手であろうと彼は負けない。
 負けるはずが無い。
 なぜなら彼は魔王バラモスを倒す資格があるからだ。
 十二分な力を持ち,父親が英雄。
 誰もが彼に期待をかける。
 しかし彼はそんな期待を裏切る。自分には不可能だと決め付ける。
 だが,そんな苦労もおしまいだ。
 アリアハン王が彼を死亡したと言ったのだから。
 自由になれる――
 束縛が無くなる――
 そう思っていた矢先に,彼女が居なくなった。
 スバル・ウェルバルトも,クルス・ボラグウェルも。
 二人共,読み違えている。完璧に。
 まずクルス。スバルがシリウスの下から離れないと決め付けた。
 ネガティブだ。
 彼女は彼の下から離れた。
 次にスバル。 彼女は自分が離れれば彼は自分を追いかけてくると決め付けた。
 ネガティブだ。
 彼は追いかける以前に,彼女への信頼を失った。その状態でどうして追いかけられようか。
 彼女がモンスターに襲われそうになっているというのは正しい。
 しかし彼にはどうでも良いことだ。
 そうさ!
 どうでも良いことだ!
 勝手に死ねば良い!
 モンスターに食われれば良い!
 自分からそうされる場所へと赴いたのだ。
 どうして自分が行かなければならない!
 あんな,自分を笑うためにここまで付いてきた人間を,どうして助けなければならない!

 これらは既に何度も考えたことだ。
 今はもう考えていない。









32 に続く








あとがき

 はい,どうも星立です。

 ダラダラしてるなぁと思った今日この頃。そろそろ心が熱くなる展開が欲しいね。

 それでは次回 32 でお会いしましょう,ではでは〜